にべもなく、よるべもなく

本日、録画をしていたドラマ「傘をもたない蟻たちは」の最終話を見ました。それから、加藤シゲアキ著書「傘をもたない蟻たちは」の「にべもなく、よるべもなく」を読みました。そして私は加藤シゲアキの1月を完全に味わいきり、自分に取り込む事ができました。

 

ここからは「傘をもたない蟻たちは」のネタバレがあります。まだ御覧になっていない方は回れ右をして、自分の感性で受け止めてから、もし宜しければ再来ください。

 

いろんな感想がありますが、その中のひとつに、ああ、プロってすごいなあというのがあります。

「傘をもたない蟻たちは」に関して言うと、小説、ドラマ、ヒカリノシズクの曲、詞、MV。これが全て異なる人たちの手によって表現されているのに、素晴らしいシンクロを成していて(タイアップや原作なんだからコンセプトの統一は当たり前なんだけれども)。

 

私は

①ヒカリノシズクの詞と曲 

②NEWSのパフォーマンス 

③ドラマ 

④小説 

⑤MV 

⑥ドラマ(にべもなくー)

⑦小説(にべもなくー)

⑧MV(再見)の順番でそれぞれを視聴した。

 

厳密に言うと①ヒカリノシズクの詞と曲の前に、小説の「染色」だけを読んでいて、傘蟻の世界観には触れていたので、曲を聞いた時には「ああ、雰囲気あうかも」と思っていた。だけどどちらかというと、「シゲの持つ物語」とのシンクロのほうが強く想起されて、私はそちらで感動していたと思う。

 

②NEWSのパフォーマンスもその面を押し出すようにシゲがセンターであったし、シゲと3人という構図はそれだけドラマチックであり多いに感動した。

 

そのせいもあって、その後③ドラマの主題歌として「ヒカリノシズク」に最初に触れたときは(1話がポップな作りだった事もあって)「あれ?あんまり合ってないのかも」とまで思った。ドラマ「傘をもたない蟻たちは」はメタ構造に思い切りシビれていたこともあり、少し油断していたのかもしれない。

 

そしてドラマのオンエア後に④小説「傘をもたない蟻たちは」の該当する短編を読むというスタンスを取っていた私は、小説・加藤シゲアキの、はかなく、消え入りそうに美しく、しかし地に足のついた、繊細さ故に足を傷だらけにしながらも力強く前に進むような小説の世界に文字通り舌を巻いていた。ここ4週で私の感性まで引き上げられた様な気がする。濃密な4週間であった。ありがとうシゲ。

 

3話直前に⑤「ヒカリノシズク」のMVを見た。初めて見たときは(物理的には無理であったが)瞬きをせず、1秒1秒見逃すものかと思う程の、なんと素晴らしい、まさに息を飲む素晴らしい映像だった。

(いっぺんにMV監督の三石さんのファンになった。彼の作品巡りもしてみたいと思う)

この時もあまりの作品の素晴らしさ故に、(その感じ方は間違いではないけれど)いいタイアップだなとは思うものの、「素晴らしいMV」としか感じていなかった。

 

そして再度⑥ドラマ(にべもなくー)へ。「にべもなく、よるべもなく」は当時未読であったが、「傘蟻」の中では特に評判が高い作品と聞いていたし、「にべもなく、よるべもなく」というタイトルが美しいなあと思っていた。また、これまでドラマで親しんでいた「じゅんちゃんとケイスケ」の過去の話ということ、また噂では「BL」とのこと、いろんな意味で期待できたし、3話の瑞々しさ(いや、過去のじゅんちゃんとケイスケ役の子スバラしすぎるだろ)に、最終話を心待ちにしすぎ、金曜日であるにもかかわらず最終話の録画を失敗したとむせび泣くくらいであった(むせび泣いた後、オンエアが明日ということに気づいて自分の天然を恥じた。)。

そして最終話。

「にべもなくー」のドラマは、展開的に少し強引かなと思う所もあったが(これは短時間の映像作品にする時にはしょうがないのかなと思って目をつぶった。ちなみにこれは1−2話でも感じた)感動した。とくに最後、ケイスケが本当は死んでいたという展開。想像できていない訳ではなかったが、それまで展開されていたドラマの内容に気を取られて忘れていた。というか、じゅんちゃんに感情移入していたので、私もショックだったし哀しかった。そこからのケイスケのカットバックと、流れて来るヒカリのシズクの優しい旋律に涙を持って行かれた。これがまだ3時間くらい前のことであるから、今私はパブロフの犬の様にヒカリノシズクに涙で反応してしまう。

 

感動に身を浸しながら⑦小説「傘をもたない蟻たちは」の「にべもなく、よるべもなく」を読んだ。ずっと泣いていた。面白い。さっき感動したドラマよりずっと面白い。構成も洒落ているし、上手い。感情的な物語だけど、冷静に書けていて、そこにも惚れる。

「にべもなく、よるべもなく」とは、[にべ=親密を表す言葉。にべもない=親しかった人に愛想がない態度で接せられる事][よるべ=寄る辺。よるべもない=身を寄せるあてがない。頼りに出来るものがいない。孤独であり不安である]という意味である。あの世界を12文字であらわしきれる加藤シゲアキ恐ろしい。しかもとても美しい日本語で。私はピンクとグレーと傘蟻(のうちの何本か)しか読んでいないが、小説家としての成長速度がはんぱない。それに加えてこのタイトルではシゲの美しい感性とのびしろまでもが感じられて溜め息がでる。ああ、シゲが羨ましい。いや、羨ましく思う資格も私にはないな。

話を小説に戻す。私がドラマで「少し強引だな」と思った部分は完璧に展開、描写されていた(これはインターセプト、恋愛小説(仮)でもそう思った)。

ああ、シゲ、凄い、とまた思った。シゲ、凄い、と思うときは、純粋に作品を楽しめること、そんなぶ厚い作品をシゲが生み出したその事実、そしてシゲの努力が報われたことの喜び、この3つがある。それを感じながら「にべもなく、よるべもなく」を読み終わった。

 

そしてその後すぐに⑧ヒカリノシズクのMVを見た。なんとなく見たくなったから。デッキにDVDが入ったままになっていたし。そんな感じで再生した。

やばい。ヒカリノシズクにじゅんちゃんとケイスケの物語が乗っかって来る。そしてシゲの物語もそこにある。じゅんちゃんが小説家なもんだから、メタ性増幅されてるし。「ヒカリノシズク」って、傘蟻の主題歌というよりは「にべもなく、よるべもなく」の主題歌なのだ。

雨の音。小説家。誰かの為に持ってきた椅子。海の底のようなシーン(小説ではじゅんちゃんは入水します)

正解(こたえ)の見えない自問自答。あの未来は未来のまま 僕は僕のまま。大事なもの、守りたいだけ なのになぜ傷つけてしまうんだろう。

歌詞が!もう!いちいち!!

 

うたからもらう感情って人それぞれで。曖昧が正解で、それを各人がどう消化するかっていうところに醍醐味があるとも思うけれど、「ヒカリノシズク」はその側面はもちろんあるけれども、一方でとても具体的に「にべもなく、よるべもなく」の世界をあらわしている。

うたを作った人、MVを作った人、ドラマを作った人はみなそれぞれ別の人間だ。そしてその起点に「加藤シゲアキ」がいる。「にべもなく、よるべなく(傘をもたない蟻たちは)」に関わった人たちは皆、小説を読んだよね(増田さんはどうだろう)。そして各々が自分の感性をもってその世界観を表現して、それがこんなにきれいに絡み合うなんて感動以外の何でもない。

今回の件ではシゲが「原作・出演・主題歌」の三役を果たすということで随分話題にもなったけれど、それよりも、加藤シゲアキがクリエイトの起点になったということが凄いんだと思う。そして素晴らしいプロたちに大事に大事に作ってもらえたことに私は感動している。ああ、よかったね、シゲって。なんだろうこの感情。

「にべもなく、よるべもなく」こういう時期がシゲにも確かにあったんだろう。そんなひとが言う「希望」は信じられる気がする。